40代ママの乳癌体験談 ~③手術編~




40代半ばで右側の乳がんになり、右胸の全摘手術をすることになりました。
今回は乳がん手術の体験をまとめたいと思います。

まず乳がんの状況

右胸に1cm?2cm弱の腫瘍が1つあり
場所は乳頭奥、左下側あたり

先生の話によると、部分切除をしても見た目がだいぶ変形してしまう場所で、
見た目的に不利。
この話をうけて、私は部分切除ではなく全部取ることを決意しました。
これまで当たり前にあった胸が無くなってしまうのはとても悲しいし、
失った時にどれだけショックを受けるか自分でも分からないけど、
酷く変形した状態の胸を見たら、それこそ見るたびに辛いかもしれないと思ったからです。
それに、乳房の再建をするなら全摘後になるようなので、再建したい場合に備えるというポジティブな気持ちも残したくて。

手術前の心境

めちゃくちゃ怖かったです。
入院前日から怖くて、PCR検査で病院に行った際に看護師さんから元気がないと言われてしまいました💦

全身麻酔で呼吸が止まってしまったらどうしよう
手術の途中で目が覚めてしまったらどうしよう
変な夢にうなされたらどうしよう
と普通ではありえないことを想像してビクビクしてました。

他にも、手術台に自分の足でちゃんと移動できるかな?
手術の直前にパニックにならないかな

もう胸が無くなってしまうなんて…

とあれやこれやと不安がつきなかったです。

そんな時救ってくれたのが入院中の患者さんたち。
手術後の患者さんたちが笑顔で励ましてくれました。

本当に寝てるだけだよ
手術後、1,2日程度で元気にご飯食べれるよ!
私たちを見て!みんな元気だよ

と、こんな風に皆さん本当に優しくてかなり勇気づけられました。

仲良しの友達も手術当日には何回もラインをくれて、
不安になりすぎてる暇がないくらい直前までやり取りしてました。

まわりの人たちに恵まれたことに心から感謝でした。

手術前の状況

たしか手術前日に、先生がエコーで乳がんの場所を確認しながら、
胸にマジックペンで印を書いてました。

その時の腫瘍の大きさは2センチ弱とのこと。
あれ??最初に見つかったときは1センチか1.5センチ弱だったような…。

乳癌の場所に印をつけたら、いよいよ手術だという気持ちが強くなり、
ますます不安感が増す…。

手術当日は、父親や看護師さんからのすすめで個室の病室にしました。
私はお金をあまりお金をかけたくなかったので大部屋でも良かったのですが、
看護師さんがすすめてくれた通り、個室にして良かった!

付き添いの旦那と手術前後に、個室で一緒に過ごせたからです。
それに、手術後はしばらく点滴をつけていたり、
お手洗いの都度、看護師さんを呼んだりと大部屋だとすごく気を遣ってしまいそう。

手術前の食事は、朝食は超少量、昼は無し。
水分は正確な時間は忘れてしまったけど、お昼付近までだったような。
ポカリスエットを飲みました。

いよいよ手術

なんと、手術直前に会社から連絡…。
〇〇のデータどこ?って…
これまでまったく聞かれたこともない質問。
こっちは手術の直前じゃーーー。と思いながらも、手術が怖すぎたので気分転換にはなったかも。

自分の足で手術室まで歩き、
手術台まで上がる。
手術室で好きな音楽を流すこともできますよ、と病院からお話頂いていましたが、そんな心の余裕などないので、音楽は持ち込みませんでした。

ベッドの上に上がったらやっぱり怖くて怖くて、
麻酔の先生(女性)の手をずっと握っていました。
何か話してるうちに一瞬で眠りにつき、
呼ばれる声がして目が覚めた。

正確には、呼ばれる前にスタッフの人たちのヨイショ!というような、掛け声が聞こえた気がする。多分、手術台から移動式ベッドに私を乗せ換えるときの声。

本当にあっという間に手術が終わってた。
手術時間は実際、2~3時間。

そして、目覚めたと同時に猛烈な吐き気と嘔吐。痰詰まりもあったと思います。
あと、数時間硬い手術台の上で寝たきりだったので、体のあちこちが痛かった記憶があります。手術台からベッドに移動したときなのかな、軽くあざもできてました。

吐き気が辛すぎて、それをスタッフの方に伝え、吐き気止めと痛み止め対策をすぐにしてもらいました。(後日他の患者さんに聞いたら、嘔吐してるのは私だけでした)
幸い、数十分で激しい嘔吐から回復して、寝たままの状態で、旦那と対面できました。

術後はじめての会話でこんな質問をしてしまった。

私「転移してなかった?」

旦那「リンパに少ししてたみたい」

私「え?」

もう真っ暗でした。
毎年かかさず乳がん検診を受けてたのに、なぜ?
そんなに成長の早い癌なの?
え?どうして?

3か月前に、癌で危篤状態だった叔母さんのお見舞いに行った時の姿が脳裏によぎりました。がりがりに痩せて、足が壊死して、会話もできない状態。
その叔母さんは乳がんでリンパ節への転移があったんです。
そんな叔母さんの危篤中の辛い姿を思い出し、自分と重ね合わせてしまいました。

あ、私もう死ぬんだ、私の足も壊死していくんだ、会話もできなくなるんだ、と恐怖の手術が終わった直後にどん底の気分に陥りました。

実際のところ、完全に私の妄想だと後から気づいたのですが、
(リンパ節転移で死ぬわけではない。叔母さんは乳がんだったが、死因は別の癌だった。)何にも知識のない私は、リンパ節への転移=もう終わりと勘違いしてしまったのです。

手術後、当日は体が痛かったのですが、薬のおかげもあり耐えられないような辛さはなく、手術後の夜には軽食を食べていたほどです。(精神的ショックを受けていたのに、軽食は食べた・・・!)

もう私死ぬんだ、叔母さんのように私はもう死ぬんだ。まだ40代なのに・・・。そんなことばかり頭によぎってしまい、
心の底から落ち込み、翌日も悲壮感が漂っていました。(でも朝食も完食)
仲良くしていた入院患者さんたちは、私の落ち込みっぷりがひどくて、声をかけられない状況だったと後ほど聞いたほどでした。

手術の翌日、一日悩みました。
夜も眠れませんでした。

私は数年以内で死ぬ、子供にはもう会えない。
そんな酷い思い込みをしました。

スマホでひたすら検索しました。

死ぬってどういうことなんだろう。
どうやって死ぬのが一番幸せなんだろう。
死ぬときってどんな気分なんだろう。
死ぬときって苦しいのかなぁ。
死んだらどうなるんだろう。

ひたすらひたすら検索しました。

検索しまくったら、
小児がんで死ぬ人もいる、
高齢で死ぬ人もいる、
元気だった人が交通事故で突然死ぬ場合もある。

そういえば私のおばあちゃん、
99歳だけど死ぬのが怖くて
毎日毎日、神様にお経を唱えてたな、
老衰っていいな、憧れるなと思ってたけど、
現実問題、病気はないのに、
体が衰えて介助無しで歩けないし、
食事もできない、
おばあちゃん、介護されながら痛い痛いって、辛そうだったな
老衰=幸せとは限らないな、、、
死ぬときって誰でも怖いし、
それに、どれだけ短命でも、どれだけ長生きでも、
もっと長く生きたいと思うものなんじゃないのかな。

たとえば会社員にとって、
1週間のお休みでも、
1か月のお休みでも、
1年間のお休みでも、
お休みの最後の日には私はもっと休みたいと思う

それと同じで、人生長くても、短くても
もっと長生きしたかった、死ぬのは怖い、
と誰もが思うんじゃないのかな。

充実した10年の人生、
充実した100年の人生、
充実してればどちらも幸せなんじゃないのかな。
(残された人は辛いけど…。)

ふとそんなことを思ったら急にどうでもよくなって、
1日悩んだらすっかり元気に。

元気を取り戻せて、笑顔で入院患者さんたちとご飯を食べ、
術後のリハビリ運動に取り組めました。

手術した側の腕は全然上がらないし、ささやかな服のこすれも痛いし、
お風呂も入れないし、体がつらい状況でも心は元気でした。

でも、無くしてしまった右胸のあとは、怖くて自分からは見られませんでした。

ところが、手術数日後のシャワーのため浴室に行ったら、
浴室の鏡で見たくもない自分の体を突然見ることになってしまったのです。

あ、胸が無い。
まぁいっか。

意外なことにショックゼロでした。
あ、無いね。癌を取ったからね。
ま、いんじゃない?こんな体でも。
と無駄にポジティブ。

手術前はめちゃくちゃ怖かった
胸がなくなることもめちゃくちゃ怖かった

手術後、1日は猛烈に猛烈に深く悩んだけど、
でも、それもたったの1日。
終わってみたらこんなもんか、それがどうした。
私にとってはその程度でした。

人生長い短い関係なく、いかに楽しく過ごせるかが大事か、
そんなことに気づく経験となりました。

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